ローに連れられてハートの海賊団の船に足を踏み入れたは、まず船が潜水艦であることに驚いた。 海賊の船は帆船である、という思い込みがどこかにあったのかもしれない。 そのまま何も話さず船の中を進むローに着いていくと、辿りついたのは医務室のような部屋だった。 消毒薬のにおいが鼻をつく。治療に必要そうな器具は一通り揃っているようで、清潔そうなシーツが掛けられたベッドもあった。 「クルー達への顔合わせはまた後だ。この時間だと見張り番くらいしか起きてねェからな……とりあえずその怪我を何とかするぞ、黒揚羽屋」 「何とかって……まさかあなたの悪魔の実の能力で?」 「流石に良く知ってるな」 そう言いながらローは手元の刀をすらりと抜いた。 オペオペの実の能力者で改造自在人間であるという、ローの悪魔の実の能力の概要は知っている。 「死の外科医」という異名通り、ローが医者であり悪魔の実の能力を用いて治療を行うことがあるということも。 しかし刀で切られるというのは気持ちがよいものではない。 の背中を嫌な汗が伝う。 「切る、のよね?」 「別に取って食ったりしねェよ……"ROOM"」 そう言いながら、ローは能力を発動させた。二人を取り囲むように半円状の空間が作られる。 そのままローが刀を振るうと、の身体は文字通り切り刻まれた。 痛みはないが、非常に複雑な気持ちだ。 なんて斬新な治療法なんだろう。 「あばらにヒビが入っているな。左腕は折れてる。左肩は……脱臼か」 ローはの身体の内部の状況を確認した後、切り刻んだ身体を元に戻した。 さらに骨折している左腕に添え木をあて、手早く包帯で固定していく。 「どこか痛みはあるか」 「左腕に、少し。我慢できないほどじゃないけど」 「痛み止めを処方してやる。しばらくは安静にしてろ」 「……分かった」 (情報屋の要件以外で、他人の海賊船に乗る日が来るなんて) 手慣れた様子で治療器具を片づけていくローを眺めながら、は不思議な気持ちになった。 自発的に傷の手当てをしてくれたあたり、今のところ目の前の男に害意はないように見える。 しかし、その態度もいつ翻るか分からない。 は女で、ローは男だ。そしてここはハートの海賊団の船の中。 ここはローのテリトリーのど真ん中で、の味方はどこにもいない。飛んで火に入る夏の虫という言葉が頭に浮かんだ。 潜水艦ならば出港したが最後、文字通りに逃げ場はなくなる。 今さら頭を悩ませてもしょうがないことは分かっていたが、せめての中で燻っている疑問を少しでも解消しておきたい。 「聞きたいことがあるんだけど」 「……なんだ」 「どうして、私が『黒揚羽』だって分かったの?あなたもあの夜、私が男達を殺すのを見ていたの?」 それは昨日からがずっと疑問に思っていたことだった。 「おれはお前が殺すのは見てねェ…死体が転がってる現場には通りがかったがな」 「それならどうして……!」 「死体を調べたんだよ。医者の立場からすると、特に目立った外傷もない死体には興味をそそられる」 「……」 確かに、翅の鱗粉で人を殺した場合、死体に切り傷や打撲などの外傷は見られないだろう。見る人が見れば奇妙な死体だったのかもしれない。 「治安の悪い街だし、妙な奴が潜伏しているならおれもクルーもそれなりに警戒しなきゃいけねェ。というわけで、死体の一部を持ち帰って調べたら、とある強力な毒素が検出された。――この島には生息していないはずの蝶の毒がな。 思い返してみれば、死体になってた男達にしつこく絡まれていた女が酒場にいたと思ってな」 「たったそれだけで気付いたの!?」 「そこらへんはおれの勘だ。カマかけてみて外れてもおれには何の損もねェしな」 たったそれだけの材料で『黒揚羽』の正体を突き止めてしまうなんて。 やはりこの男は相当頭が回るようだ、とは改めて感じた。 その頭と駆け引きの仕方や、反応を探る観察眼。厄介な男だ、とも思う。 「お喋りは終わりだ、怪我人は寝てろ。ベッドはそこを使っていい。一応シャワールームもこの部屋にはついてる。使うなとは言わねェが、左腕は濡らすな」 「……了解」 は右利きだ。折れたのが利き腕ではなくて良かったと安堵する。 利き腕が使えるならそこまで生活に支障はきたさないだろう。 「あと、この部屋は内側から鍵は掛けられる。おれの船に妙な真似をする奴はいないと思うが、念のため掛けておけ」 「……随分と親切なのね」 てっきりもっと雑な扱いを受けると思っていたのに、怪我の手当てをしてくれたり、まるごと一部屋貸してくれたりと随分好待遇だ。 それは世間に浸透している「死の外科医」の残虐な評判とは裏腹で、正直少し戸惑う。 「お前にはやってほしいことがあるからな。それに、この部屋の鍵はおれも持ってる」 チャリ、という金属同士が擦れる音とともにローが懐から取り出したのは、部屋の鍵だった。 おそらくこの部屋の鍵だろう。つまり、内鍵を掛けていてもローには開けられるということだ。 「明日の朝また来る。薬は飲んでおけ」 そう言い残して、ローはそのまま部屋を出ていった。錠を下ろす音が聞こえたあたり、ご丁寧にも鍵を閉めてくれたようだ。 (なんだかなぁ……) ローが出て行った扉をしばらく眺めていたは溜息をついた。 とりあえず、用意されていた水とともに薬を服用する。錠剤タイプのため、ほぼ苦味は感じない。 薬を飲み込み、はベッドに潜り込んだ。 (なるようにしかならない、よね) 考えたいこと、不安なことは山積みだが、今日は色々なことがありすぎて疲労が溜まっている。 一人になった途端、張り詰めていた緊張がほぐれて瞼が重くなった。人間の身体は正直だと思う。 もぞもぞと動いて布団を被り、は睡魔に身を委ねた。 ***** カチャリ、という金属音では目を覚ました。 続いて、キィィ……と蝶番が軋む音が聞こえる。 睡眠から覚醒したばかりの頭が、部屋のドアが開かれたことを理解した。 続いて、ぺたぺたという、まるで裸足で床を歩いているような音が響いた後、ベッドの周囲のカーテンが引かれた。 「あれ、起こしちゃった?」 その言葉とともに、カーテンの向こうからひょっこりと顔を覗かせたのは、この部屋には似つかわしくない白熊だった。 たしかあの酒場でもこの白熊を見かけた記憶がある。確かローの隣に座っていたような。 「……くま?」 寝起きでぼんやりとしていたからか、思考がそのまま口から滑り出る。 の呟きを聞いたその白熊は、何をどう解釈したのか途端にその表情を悲しげに歪めた。 「……熊ですみません……」 「え……ちょ、ちょっと待って!」 悲しそうな顔のまま、再びカーテンの向こうに姿を消そうとした白熊を慌てて呼び止める。 大きな体格だが、案外性格は繊細だったりするのだろうか。 「えっと……あなたもハートの海賊団のクルー、なんだよね?私はっていうんだけど……」 とりあえず名前を名乗ってみたものの、自分の置かれた状況をどう説明すればよいのか迷い、言葉が途切れた。 「……おれはベポ。ハートの海賊団で航海士をやってるんだ。のことはキャプテンから少しだけ聞いてるよ。部屋の鍵もキャプテンから預かったんだ」 真っ先に浮かんだのは、世の中には色々な海賊団がいるなぁという何処か呑気な感想だった。白熊が航海士をやっているというのだから驚きだ。 キャプテンに連れてこられたんでしょ?と問いかけられた言葉には頷いた。 「キャプテンが起きてくるまでまだ時間がかかると思うから、朝ごはん持ってきたんだ。怪我してるって聞いたけど食べれそう?」 「うん、大丈夫。ありがとう」 白熊の航海士――ベポの言葉に答えながら、ベッドから上半身だけを慎重に起こした。 あばらにヒビが入っているせいか動くと胸部が痛んだが、日常動作に支障をきたすほどではなさそうだ。 ベポがサイドテーブルに置いてくれたおにぎりと野菜スープを食べ終わると、ベポは満足そうに空の皿をお盆にのせた。 「食欲もあるみたいだし、特に心配なさそうだね。キャプテンが来るまでこの部屋で待っててくれるかな」 「分かった」 「じゃあまた後でね」 そう言い残すと、ベポは部屋から出て行った。 海賊船の中なのに、このほのぼのとした空気は何なのだろうと思う。 それはベポの可愛らしい喋り方や仕草のせいかもしれないけれど。 (……シャワー、浴びようかな) ベポはローが来るまでまだ時間があると言っていた。 昨日は疲れ切ってそのままベッドに入ったが、明るいところで改めて自分の姿を見ると、至る所が砂や泥で汚れていた。 ベッドを汚してしまったかな、と申し訳ない気持ちになる。 左腕を濡らさないようにしないといけない、と考えながら、は部屋に備え付けられているシャワールームの扉を開いた。 |