シャワーを浴びると昨日の戦闘でできた擦り傷にはかなり染みたが、身体は程よく温まった。 服はとりあえず身に着けていたものを再び着てみたものの、そういえば着替えどころか荷物一式は泊まっていた宿に置いたままであることに気付く。 元々様々な街を転々とする生活をしていたため大した量の荷物はないが、この着の身着のままの状態で出港されると生活に支障が出そうな気がする。 できれば出港前に荷物を取りに行きたい、と考えているとドアの向こうから靴音が響いてきた。 蝶番が耳障りな音を立て、扉が開く。現れたのは特徴的な刀を携えた長身の男。 「怪我の具合はどうだ、黒揚羽屋」 「痛みもそんなにないし、今のところは問題ないと思う」 の答えに、ローは頷いた。 「飯も食えたらしいし、特に心配いらねェだろう。うちのクルーに引き合わせるから付いて来い」 ローはそう言いながら踵を返した。 慌ててその背中を追いかける。 「あの、ちょっといい?」 「何だ」 「泊まっていた宿屋に荷物を取りに行きたいの」 「何故だ」 「着替えとか身の回りのものが何もないから」 この服一着で過ごすのは避けたいのだけど、と続けると、ローは面倒臭そうに嘆息した。 「うちにお前の着れそうな服はねェしな……お前は外に出るな、後で誰かに取りに行かせる。宿屋の名前は何だ」 「『グリフォン亭』だけど……もう私の手配書は出回ってるの?」 「……あぁ」 ローの返事はやや歯切れが悪い。 が内心首を傾げていると、ローの足がある扉の前で止まった。目的の部屋に着いたのだろう。 躊躇うことなくローが扉を開ける。真っ先に耳に飛び込んできたのはがやがやという話し声だった。 ローの身体越しに木製のテーブルがいくつか見える。ここは食堂として使用されている部屋だろうかと検討をつけた。 そして、部屋にいるクルー達は例外なく皆が同じデザインのつなぎを着用していた。その左胸に描かれている特徴的なジョリーロジャーのマークが笑っているように見える。 ローが扉を開けた音に気が付いたのだろう。何人かのクルーがこちらに目を向けた。そして、ローの後ろに立っているに気がつく。 話し声が響いていた部屋の中は水を打ったように静かになった。 一斉にクルー達の注目を浴びて、は少し居心地の悪さを感じた。 「今日からこいつを船に乗せることにした。見ての通り女だが、妙な真似はするなよ」 しん、とした少しの間の後、「了解っす」という返事がまばらに聞こえた。 クルーの返答に満足そうに頷いたローが辺りを見回す。 「ベポはどこだ」 「ベポなら多分航海室っすよ」 クルーの一人がローの言葉に答えた。 確かに、特徴的なあの白熊の大きな身体は部屋に見当たらない。 「そうか」と呟くと、ローは身を翻し部屋から出ていった。ベポを探しに行くのだろうか。 残されたとクルー達の間に、再び沈黙が下りる。 (……気まずい……) 確かにローは「クルーに引き合わせる」と言ったが、これでは本当に顔を合わせただけだ。 彼らと面識もないに一体これからどうしろというのか。 いっそ先程の部屋に戻ってしまおうかという考えが頭をよぎる。 「……お前、酒場で一度会ったよな」 「え?……あ、うん」 気まずい沈黙を破り、に声を掛けたのはカラフルなキャスケットを被ったクルーだった。 その鮮やかな色には見覚えがある。彼はあの酒場でゴロツキに絡まれていたを助けてくれた男性と同一人物だろう。 助け方は随分力任せだったけども。 その節はどうも、と軽く頭を下げるとキャスケットの男性は強張っていた表情を崩し、笑顔を見せた。 「おれはシャチ。いやー、キャプテンが女の子乗せるっていきなり言い出した時はびっくりしたけど、まさか噂の『黒揚羽』を連れてくるとは」 なー、ペンギン!と、シャチは傍らに立っていた男性に同意を求めた。 「PENGUIN」というロゴの入った帽子を被ったその男性は軽く首を竦める。 「おれはペンギンっていう。よろしく、『黒揚羽』」 シャチとペンギンが名乗ったのを皮切りに、他のクルー達もぱらぱらと自己紹介をし始めた。 一度に名前を覚えられるだろうか、と少し不安になる。 「えーと……私は。皆さんご存知みたいですけど『黒揚羽』っていう名前で情報屋稼業をやってます。……よろしくお願いします?」 「何で疑問形なんだよ」 「いや、昨日の今日で状況が変わりすぎてもうついていけてないのが現状と言いますか」 思わず本音を漏らすと、シャチはそりゃそうかと納得したように頷いた。 「いきなりお尋ね者になった上に、うちのキャプテンに目をつけられたんだ、その反応も仕方ねぇかもな」 「はは……」 何やら物騒な事を言われた気がする。は乾いた笑いで返事をした。 「新聞にも記事が出てるぜ。これでお前も有名人だな」 「……新聞?」 ほら、とペンギンが新聞を渡してくれた。 指し示された記事はそれほど大きくはない。しかし、そこには確かにの名前と手配書が掲載されている。 そして、その記事の見出しは―― 「―――『ルーン海賊団の残党が争いの火種を生む』、これって……」 「お前、ルーン海賊団の船員だったんだな」 「……うん。今になって、この名前を聞くことがあると思わなかった」 ルーン海賊団。それは、にとって酷く懐かしい響きだった。 の家であり、故郷であった、今はもう存在しない場所。 「ルーン海賊団ってあれだろ、何年か前に海軍とドンパチやって負けたっていう……結構でかい海賊団だったよな?」 「そうだね、300人くらいはクルーがいたかな……」 「なかなか大所帯だな」 記事には、今までの『黒揚羽』の活動が大まかに記され、最後は『徒に騒動の種を蒔くこの不穏分子の行方を海軍が追っている』という言葉で締めくくられていた。すっかり悪者扱いだ。 黙って記事を目で追っていたの手元を覗き込んだシャチは、解せない表情で口を開いた。 「しっかし、何でまたお前はルーン海賊団のクルーだったんだ?数年前なんて、下手したらお前まだガキだったんじゃねぇの?」 「そういう意味なら、私は生まれたときからクルーだよ。だって私はこの船の上で生まれたんだから」 「両親が海賊だったってことか?」 「そういうこと」 生粋の海賊じゃないか、と呟いたペンギンの言葉には苦笑した。 陸の上の出産でも女性は命がけなのに、海の上で子供を産み、さらに海賊船に乗りながら子育てをしたの母は少々珍しい人物かもしれない。 「―――それなら、どうしてお前は生き残ったんだ」 背後から聞こえてきた低い声。 振り返るといつの間に戻ってきていたのか、ローが壁に背を預けて立っていた。 「ルーン海賊団は3年前に海軍中将の攻撃を受け、船は沈められた。クルーは一人残らず殺されたかインペルダウン行きのはずだろう」 「……海軍の攻撃を受けた時、私は船を離れていたから……」 「その悪魔の実の能力でか?」 「うん。他の船に潜り込んで情報収集してたのよ」 「もうその頃には情報屋として活動していたのか」 「……」 無言を肯定ととらえたのだろう。なるほどな、とローは呟いた。 そこへ、外からバタバタという足音が近づいてくる。そして慌ただしく扉が開かれた。 「!荷物取ってきたよ!」 「ベポ?あなたが取りに行ってくれたの?」 「うん!そうだよー」 元気のよい返事とともに差し出されたのは、見慣れた革製の鞄。 ありがとうと礼を言いながら受け取ると、どういたしまして、とベポが笑った。 先程ローがベポを探しに行ったのは、の荷物を取りに行かせるためだったようだ。 「荷物少なくてびっくりしたよ、しかも全部鞄の中に入ってたし」 「いつ何が起こるか分からないし、いつでも出られるようにって準備してたからね」 散らかった部屋から荷物をかき集めるなんて作業をベポにさせることがなくて良かった、とは内心ほっとした。常に荷物を最小限に抑え、有事に備えていつでも出発できるよう鞄に入れておく自分の癖に感謝する。 「ベポ、ログはもう溜まったのか」 「いつでも出発できるよ、キャプテン」 「全員持ち場につけ。出港するぞ」 「アイアイ!」 船長であるローの声に対して、クルー達から力強い返事が返ってくる。 そして、各自自分の持ち場につくために移動し始めた。 「お前は医務室に戻っていろ、黒揚羽屋」 「……分かった」 どのみちこの部屋にいてもはすることがない。 その言葉に従って部屋に戻ろうと歩き出すと、そういえば、と再びローが声を掛ける。 立ち止まって振り返ると、相変わらず表情の読めない一対の瞳がこちらをひたと見つめていた。 「あの胡散臭い敬語はやめたのか」 「胡散臭いって……」 あんまりな言い草に顔をしかめた。 ただは仕事上の客相手に礼儀を尽くしていただけだ。 「……もう、あなたは私にとって『客』じゃないでしょう、キャプテン?」 ハートのクルー達の呼び名を真似してみる。 の言葉に一瞬目を丸くしたローは、すぐに笑みを浮かべて切り返してきた。 「あぁ―――そうだな、""」 その不敵な表情を少しの間眺めた後、は前を向き直り薄暗い廊下を進む。 船がおそらく潜航を始めたのだろう。廊下の小さな窓から差し込む光がどんどん弱まり、船が傾く感覚がする。 ひときわ大きな動力音が足元から響いた。 こうして、いくつもの巡りあわせの果てに、は鮮やかなカナリア色の船の中で生活をすることになった。 暗闇だと思っていた場所が実は明るかったこと。 そしていつだって頭上からは光が差し込んでいたこと。 ―――それらにはまだ、気付かないままで。 |