終わりも始まりも、いつも突然訪れる。
「プルルルルル、プルルルルル」 情報屋の仕事用に使っている電々虫が鳴ったのは、昼下がりの気だるい時間帯だった。 宿屋で最新の賞金首のリストを熱心に眺めていたは、電々虫のすぐ横に置いていた変声器のスイッチを素早く入れると、受話器を取った。 新しい依頼だろうか。 それとも、既に受けている依頼の催促だろうか。 「はい、情報屋、『黒揚羽』です」 変声器を通し、無機質に変換されたの声が部屋に響いた。 「売ってほしい情報があるんだが」 いきなり要件を話しだしたその声に、は僅かに首を傾げる。 比較的若い、落ち着いたその男の声は、記憶の底に残っている声のような気がしたからだ。 「恐れ入りますが、お名前を聞かせていただいても?」 「――トラファルガー・ローだ」 は昨日の酒場での光景を思い出し、思わず息を呑みそうになった。 慌てて呼吸を整え、平静を装う。 「……以前にも、情報を買っていただいていますね。毎度ありがとうございます」 「よく覚えているな」 「もちろんです。大切なお客様ですから」 どうだか、と呟いたその声が、わずかに笑みを含んだ気配がした。 「こちらの要件を話してもいいか」 「はい」 「あと2日でログが溜まる。すぐに出港したいんだが、丁度海軍が2日後にこの街にやってくるという噂を耳にした。噂の真偽を知りたい」 「承知しました――肝心の、今滞在されている街を教えていただけますか?」 ローがこの街に滞在していることを知っているため、あっさりと話を進めそうになるところだった。危ない。 「セブリア島の港町だ」 「2日後に出港されるなら、お急ぎですよね?」 「明日中には情報がほしい…あと、噂が本当なら、海軍が通る航路と時間帯の情報も知りたい」 「分かりました」 「よろしく頼む。料金は半額前払いだったな」 「はい。口座と料金体系はご存知でしょうか?」 「以前と変わっていないなら同じ口座に振り込んでおく」 「よろしくお願い致します。では、情報が集まり次第ご連絡致します」 あぁ、という返事とともに通話が終了した。 昨日同じ酒場にいた人間からの依頼。 偶然、にしてはやけにタイミングが良すぎないだろうか。 しかし、ローの態度には特に不審な点も見受けられなかったように感じた。 やはりただの偶然なのだろうか。 しばらくは思案していたが、とりあえず依頼を片づけるために動き始めたほうが得策だと考えた。 一人で考え込んでいてもこの疑惑に答えが出るわけではないのだから。 それに期限が明日中ならば、あまり時間に余裕はない。 まずは情報が集まる酒場。 そして夜になったら、蝶の姿でこの街の中心部にある海軍の詰め所に潜り込めば、目的の情報は手に入るだろう。 は手早く身支度を整えると、宿屋をあとにした。 ***** 翌日、宿屋の自室では難しい顔をして電々虫と向き合っていた。 酒場と海軍の詰め所を一通り回ったが、ローの言う噂話に該当しそうな情報は見つけられなかった。 海軍中将が定期的に来るタイミングや、海軍内の人事異動があるという情報は手に入ったものの、ローのいう「2日後」というタイミングには当てはまらない。 そもそも、酒場や街で情報を集めた際にも、2日後に海軍が来るなんて噂は一度も耳にしなかったのだ。 ローはどこで噂話を耳にしたのだろうか。 (この人の依頼って、すんなり終わらないものばかりだわ) 以前受けた依頼も、情報を集めるのにかなり苦労した記憶がある。 確かとある海賊船の情報を集められるだけ集めて来い、というアバウトな依頼だったのだが、その海賊船の船長の名前を掴むだけで2週間ほどかかったのだ。 にとってはありえない事態だ。 結局、その船長が能力者だったため、悪魔の実の大体の能力と、主要幹部のメンバーの名前と力量程度しか探ることができなかった。 そのわずかな情報を集めてくるのにもさらに1か月ほど要し、はローに追加の情報料を請求したという落ちがある。 その時ローは特に文句も言わず、の言い値でその情報を買ったのだが。 (今回も情報料の半額は契約通り口座に振り込まれてたし……悪戯ではない、と思うんだけど) 少なくとも今回、が手を尽くした限りでは該当する情報はなかった。 それならば、真実をそのまま「客」に伝えるしかないだろう。 は呼吸を整えた後、変声器のスイッチを入れ、電々虫の受話器を取った。 「情報屋、『黒揚羽』です。トラファルガー・ローさんの電々虫でお間違えないですか?」 「あぁ。早かったな、もう分かったのか」 「はい、昨日依頼頂いた件について調べてみましたが、どうやら噂はガセのようです。 セブリア島には1カ月に一度海軍中将が立ち寄る予定になってますが、次に島に来るのは3週間後のようですし……海軍内で人事異動もありますが、本格的な人の異動は一ヶ月後のようです」 「そうか」 「そもそも、こちらでは『2日後に海軍が来る』という噂を知っている人間を見つけることが出来なかったんですが……」 「あぁ……そうだろうな」 「――え?」 この男は、今、何と言った? 「その噂はおれがでっち上げたものだからな。1日足らずでよくそこまで調べられるもんだ」 「……どういうことでしょうか」 「おれはお前に興味があるだけだ、黒揚羽屋」 電々虫から聞こえる声は平坦で、ローが何を考えているのか全く読み取ることができない。 「今日の夜0時にセブリア島港町2番街の広場まで来い。残りの情報料はそこでくれてやる」 セブリア島港町2番街の広場。 それは一昨日の夜、がゴロツキ3人を殺した場所だった。 わざわざそこを待ち合わせの場所に指定するということは。 (トラファルガー・ローは、黒揚羽の正体に気付いてる…?) 疑惑が確信に変わり始める。 背中を嫌な汗が伝う感触がした。 「お断りします」 「断るのは結構だが……正体不明だった情報屋の正体が小娘だった、と言いふらされる覚悟があるんだな」 は自分の考えを訂正する。 ローは間違いなく黒揚羽の正体が一昨日酒場で会っただと確信している。 「……それは脅迫ですか」 「そう取っても構わねぇ」 しれっと悪びれもせずに話す声は、むしろ面白がっているようにも聞こえる。 そして、的確にが嫌がることを引き合いに出してくるあたり、性格が悪い。 間違いなく敵に回したくないタイプだ。 「……分かりました。ただし、広場に来るのはあなただけにして下さいね。 守らないならば、あなたのクルーの命の保証は致しかねます」 会ってどうする気なのかは分からないが、にはローの要求を呑む以外に選択肢がない。 こうなったら自棄だ。 「いいだろう」 満足げなローが通話を切った瞬間、は思いっきり舌打ちしたい気分になった。 (ああ、すごく面倒なことになった) ぼふん、と間抜けな音を立ててベッドに飛び込むと、スプリングが抗議のような音を立てる。 どうして正体がばれているのか。 そして、何を目的にローはを呼び出しているのか。 分からないことだらけな上、ローにいいように振り回されているこの状況にいら立ちが募る。 悪態をつきたいような。 そして祈りたいような。 複雑な気持ちで、はその日の夜を迎えた。 |