宿に戻ったは即座にシャワーを浴び、一息ついた。 先程の男達の死体の所在については、少し迷ったものの、結局道の脇によけただけで放置しておいた。 死体を運んでいる姿を誰かに目撃されると、それこそ面倒なことになると考えたからだ。 本当は海にでも捨てて痕跡を消しておきたかったが、女であるにとって、男3人を海まで運んで死体を捨てるのには骨が折れる。 以前にも道端に転がっている死体を発見したことがあるし、治安の悪いこの街ではそんなに珍しい光景ではないはずだ。 (……人を殺したのは、久しぶりかも) が幼い頃口にしたのは、「チョウチョウの実」と呼ばれる、文字通りに蝶になるという能力を持った動物系の悪魔の実だった。 一般的に動物系の悪魔の実の場合、肉食獣のほうが獰猛で殺傷能力が高く、危険であるとされている。 そのため、は自分の能力はそれほど戦闘には向いていないと考えている。 蝶が草食動物であり、尖った爪や強靭な肉体を持たないためだ。 ただし、が獣型もしくは獣人型で振りまく特殊な鱗粉には毒性があり、人間が一定量を吸いこむと死に至る。 もっとも、ただ翅を使って飛行するだけでは鱗粉は振りまかれないので、近づいた人間がすぐ死ぬわけではない。 が相手を殺そうと考え、意図的に鱗粉を振りまいた時、それは凶器に変わるのだ。 味方がいれば、鱗粉の毒に巻き込む危険性も考慮する必要もあるのだろうが、生憎には味方と呼べる存在はいない。 それは即ち、味方がいないからこそ、躊躇なくこの力を使うことができるとも言い換えることができる。 ごく普通の生身の人間を相手に鱗粉を振りまいた後、その場に生き残っているのはだけだ。 もっとも、最近はもっぱら情報屋としての情報収集ばかりしていて、さっきのような血なまぐさいことに首を突っ込むようなことはなかった。 もともとはそんなに血気盛んな性格ではない。 先程の男達のようなしつこい人間は大嫌いだし、自身に不利益を被る場合はもちろん抵抗するが。 鱗粉以外にも、にとってチョウチョウの実の能力は割合重宝することが多かったりする。 蝶の姿は小さく、簡単に風景に紛れるので、盗み聞きはお手の物だ。 ターゲットとなる人間や海兵などから情報を集めやすいし逃げやすい。 また、情報屋の客とは電々虫でやり取りすることがほとんどだが、盗聴を恐れたり、慎重な客の場合は直接情報の引き渡しを望まれる場合もある。 そんな時も、獣化した蝶の姿で客と接触すれば、相手はの性別や年齢は分からない。 情報屋として人前に出る時は常に蝶の姿のため、客からはいつしか「黒揚羽」という通り名で呼ばれることが多くなった。 今では自分から積極的に「黒揚羽」と名乗っている。 自分の人間の姿が知られていないことは、にとって大きなアドバンテージだった。 若い女であることを世間に知られると、いらないトラブルを招きかねない。 下手に注目を集めて狙われるのはごめんだし、そもそも情報収集しづらくなり、情報屋としての仕事がしづらくなる可能性だってある。 それに、基本的に所定の金さえ払える相手であれば誰にでも情報を売る「黒揚羽」は、情報を売られた側から恨まれることもある。 自分の姿を隠すことで、は一種の保険を掛けていると言っても過言ではない。 今まで念には念を入れて正体を隠していたことを考えると、やはり先程の行動は少し軽はずみだったかもしれない。 大きな仕事が一つ終わって、無意識のうちに浮かれていたのだろうか。 そう反省しながら、はベッドに潜り込んだ。 冷たいシーツの感触が、少し火照った身体には心地よく感じる。 (確か、他の島への定期便は5日後だったはず) それまでに買い出しを済ませて、後は目立たないように宿でのんびりしておこう。 ついでに、最新の賞金首の情報も押さえておきたい。 今後の予定をざっくりと決めながら、は眠りについた。 ***** 「あー、飲んだ飲んだ!」 シャチの満足そうな声が真夜中の街に響き渡る。 「シャチ、もう少し声を抑えろ。うるさいぞ。」 「いーじゃねーかペンギン。久しぶりの陸なんだしちょっとくらい羽目外しても」 「お前は飲みすぎなんだよ…今だって真っ直ぐ歩けてないだろう」 「んなことねーし」 「自分の足元をもう一度良く見てからものを言え」 今回の航海が若干長めだったこともあり、久しぶりの陸にハートの海賊団のクルー達のテンションも高い。 酒場で思う存分酒や食べ物を楽しんで騒いだ後は、女を買って宿に泊まる者と、船に帰る者の二手に分かれた。 今シャチとペンギンを先頭に歩いているのは、船に帰るクルーの一部だった。 「だいたい俺をキャプテンやペンギンみたいなザルと一緒にすんな……って、ん?」 アルコールの入ったふわふわとした思考の中、視界の端に引っ掛かったものがシャチの興味をひいた。 道の隅に寄せられたそれは、暗がりでは確認しづらいがおそらく――― 「……誰か倒れているのか?」 シャチの視線を辿ったペンギンも、同じくその物体に気付く。 傍まで歩いていくと、やはりそれは人間の身体だった。 うつ伏せで折り重なるように放置された3人分の男達で、どう見ても死んでいるように見える。 喧嘩でもしたのだろうか、とシャチとペンギンが訝しげにしていると、二人の背後から伸びてきた手が 折り重なった男達のうち、一番上の死体を無造作にひっくり返した。 「うぉ!どーしたんすかキャプテン!!」 自分達よりだいぶ後ろを歩いていたはずの男がいつの間にか真後ろに立っていることに驚き、 シャチが素っ頓狂な声を上げた。 その手の主――ハートの海賊団のキャプテンであるトラファルガー・ローは、問いかけには答えず、 無言で男の身体を隅々まで調べている。 「あれ、シャチ、こいつってさっきの酒場でお前が空ジョッキをぶん投げた奴じゃないのか?」 どっかで見たことあると思ったら、と呟くペンギンにシャチが即座に反応する。 「あ、本当だ!こいつ等、カウンターの女の子にしつこく絡んでた奴らだぜ!こういうのを 『いんがほーおー』って言うのか?」 「……言いたいことは分かるが、それを言うなら『因果応報』だろう」 ペンギンから「もっと本を読め」、というもっともな突っ込みを受け、シャチがぐっと言葉に詰まる。 緊張感のない二人のやり取りを聞きながら、ローはすっと目を細めた。 そして、後ろを振り返る。 「ベポ。鬼哭を寄こせ」 「アイアイ、キャプテン!」 すぐ後ろに控えていた白熊の航海士であるベポから、ローは自身の愛刀を受け取った。 「――……"ROOM"」 ローは自分の能力を発動させ、周囲にサークルを作りだす。 そして、ザクッという生々しい音とともに、男の腕を切断した。 「"メス"」 さらに能力を駆使し、男の身体から心臓を取り出す。 鼓動はなく、月明かりの下でもすでに変色しているのが見て取れた。 「キャ、キャプテン……どーするんすかその腕と心臓……」 「少し、興味がある」 「へ?」 「こいつらの身体には傷が一つもない。間違いなく死んでいるのにな」 「……確かに」 「喧嘩で死んだにしてもおかしなものだろう。世の中には不思議なこともあるもんだ」 そう言って唇を歪めたローの瞳は、面白い玩具を見つけたとばかりに妖しく輝いている。 「いい研究対象になりそうだ」 帰るぞ、お前ら。 妙に上機嫌なローのその言葉で、ハートの海賊団のクルー達は再び自分の船へと足を進めた。 |