グレイッシュトーン・ランドスケープ #1    







がハートの海賊団の船に乗って2週間が経過した。
セブリア島で負った怪我は順調に回復している。
そして、この2週間でハートのクルーや船での生活には少しずつ慣れてきていた。


、怪我の調子はどう?」


食堂に向かおうと歩いていたに声を掛けたのはベポだった。
ベポが持ち場を離れているということは、今は比較的に気候が安定しているのかもしれない。


「うーん、まぁまぁかな……ベポ、次の島はもう近いの?」
「今は潜航せずに海上を進んでるし、多分もうすぐ影が見えてくると思うよ。今日の夕方頃には上陸できるんじゃないかな」
「一昨日くらいからかなり気温が下がってきたし、やっぱり冬島だよね?」
「多分ね。久しぶりの雪だー!」


嬉しいな!と喜びを露にするベポを見て、は苦笑した。
ベポは白熊だから寒さに強いのだろう。
は正直、寒さにはあまり強くない。というか、弱い。


「島の影見えてないかなー!ちょっと見てくる!!」


そう言い残すとベポは走って航海室に行ってしまった。
その姿を見守ってから、は再び廊下を歩き始めた。

ふと、ローも北の海出身だったことを思い出す。
この海賊団には寒さに強いクルーが多いのかもしれない、とそんなことを考えながら、木製の扉を
開けた。





*****





「ほい」


そんな軽快な掛け声とともに、ミルクコーヒーと小さめに焼かれたホットケーキがテーブルの上に置かれた。 ホットケーキにたっぷりとかけられた蜂蜜が、光を反射してきらりと光る。


「わぁ、ありがとう!でも、いいの?」
「もうすぐ島に着くらしいからな、在庫処分だ」


煩いから他の野郎には内緒だと笑ったのは、ハートのクルーであり、この船の食糧事情を一手に引き受けるコックだ。
骨折したのためにカルシウムが多めの食事を作ったり、今のようにちょっとした甘いものを作ってくれたりと何かと世話を焼いてくれる存在でもある。

口の中に広がる濃厚な蜂蜜の甘みに幸せを感じながら、何気なく窓の外に目をやる。
灰色の空をバックに、雪が舞い始めていた。


「次は冬島か。根野菜と魚が調達できそうだな」
「あはは、コックらしい感想だね」


シチューと魚のムニエルでも作るかなという言葉に笑っていると、食堂の扉が開いた。
それと同時に、外の冷たい空気が流れ込んでくる。


「うー、寒い。何か温かいものくれ、雪も降ってきた」
「何だペンギンか、コーヒーでいいか?」
「頼む」


ペンギンは肯定の返事を返しながら、食堂の真ん中に置かれたストーブの元へと足早に歩を進めた。
その鼻先は赤くなっており、外の寒さが想像できる。
はまた憂鬱な気分になった。
ストーブの前を陣取り、一息ついたペンギンがこちらに気付き声を掛けてきた。


「あれ、じゃねぇか。お前また甘いもの食ってんのか」
「うん、在庫処分だってもらったの。ホットケーキだよ」


シャチにバレないようにしろよ、とペンギンは笑う。
確かに、割と甘味を好む彼に見つかると「おれにも寄こせ」と騒ぎそうだ。
その光景が脳裏に容易に浮かび、もくすりと笑みを零した。
そして最後の一口を食べ終えると、すぐさま空になった皿とマグカップをキッチンに運ぶ。証拠隠滅は早い方がいいだろう。
コックは の意図に気付いたらしく、面白そうに笑いながらコーヒーを差し出した。
大きめのマグカップに入ったブラックコーヒーはペンギンの分だろう。
は受け取ったマグカップの中身を零さないように気を付けながら、ストーブの前までそっと歩いた。


「はい、コーヒー」
「サンキュ」


ペンギンはからマグカップを受け取ると、そのまま口をつけた。
コーヒーをすする音が食堂に響き、香ばしい香りがふわりと広がる。
ストーブの炎がゆらりと揺らめいた。


「しかしあれか、甘いものが好きなのはやっぱり女だからなのか?」
「苦手な女性もいるだろうし、それは偏見なんじゃない?私は能力のせいか、甘いものっていうか蜂蜜が好きだけど」
「能力?」
「ほら、私は蝶になるからね」


あぁそういうことか、と納得したようにペンギンが呟いた。
蜜を吸うという蝶の特性に気付いたのだろう。


「それなら、獣化した時は花の蜜が吸いたくなるのか?」
「んー、気分によるかな。でも、獣化してる時は美味しいって感じるよ。まぁ人間の姿の時はそんなことしないけどね。目立つし」
「確かにな」
「ついでに、蝶だから冬の寒さも苦手。どちらかというと暑い方がマシ」
「ははっ、じゃあ冬島はにとってキツイな」
「そういうこと。もうここから動きたくない」


雪なんて最悪だとぼやくと、動物系の能力者も色々大変なんだなと苦笑された。


「自然系とかも扱える力が大きいけど、極端に相性があったりするみたいだよね」
「そういう意味なら、うちのキャプテンの能力はこれと言って弱点なさそうだな。もちろん海以外で」
「あー、確かに……色々と便利だし応用効きそうだよね」
「ただ、能力使いすぎると体力もたねぇってぼやいてたことはあるな」
「へぇ、そうなんだ」


何でも切断や入れ替えができるように見えるローの能力も、やはり無尽蔵に使えるわけではないのだろう。
能力を使用するのが生身の人間である以上、何にでも制約はあるんだな、とは思った。



ストーブの前でペンギンとぼそぼそと雑談を交わしていると、再び食堂の扉が開いた。
シャチを先頭に、ハートのクルーが数名入ってくる。


「あ、ペンギン!いねぇと思ったらこんなとこでサボってたのかよ!」
「自分の仕事は済ませてる。人聞きの悪いことを言うな、シャチ」
「早く終わったんなら手伝ってくれよ!」
「仕事の量は俺もお前も同じだったはずだろ」


甘えるなよとさらりと言い放ち、素知らぬ顔でストーブに向き直るペンギンにシャチが食ってかかる。
この2週間でがすっかり見慣れた光景だ。
ハートのクルー達にとってはお決まりのパターンと言っても過言ではないのだろう。
またやってる、という数名の呆れた視線がそれを物語っている。

すると突然、ガコンという大きな音とともに、ずっと床から響いていた微かな振動が止まった。
どうやら着岸したらしい。


「お、着いたっぽいな」
「さっきちらっと見えたけど、そこそこ大きい街がありそうだったぜ」
「それなら補給には困らなねぇなー」


いい女いねぇかな、などと軽口を叩きながらクルー達は外に向かう。
先程ペンギンから聞いた話では、このハートの海賊団は島に着くとまず食料品以外の補給を一通り済ませてから、各自自由行動となるらしい。
食品が痛むのを防ぐため、食料品の買い出しは出港の数日前にしているとか。

この船に乗っている以上、何か仕事があるなら手伝うべきだろう。
とりあえず、ここ2週間ですっかりのスペースと化した医務室から上着を取ってくることにする。
外の寒さは憂鬱だが、着込めば何とかなるはずだ。
はクルー達に続いて食堂を後にした。





*****





―――外に出るつもりか?」


上着を取って医務室から出ると、廊下に響いたのはのものではない低い声が響いた。
振り向くと、そこに立っていたのはいつもの愛刀を携えた長身の男。
ローはが小脇に抱えている上着に視線をやり、やや怪訝そうな表情を浮かべていた。


「……そのつもりだけど」
「まだ腕の怪我が治ってねェだろ。賞金稼ぎにでも目を付けられたら面倒だから大人しくしてろ」
「買い出しとかあるって聞いたから、手伝えることがあればって思ったんだけど……」


の言葉に、ローは驚いたように目を見張った。


「怪我人に手伝わせるほど人手不足じゃねェよ」
「はぁ……」


物心ついた時から海賊船で生活しており、所謂ギブアンドテイクの考え方が染みついているにとって、何もしないまま人任せというのは何だか落ち着かない気分になる。
しかしキャプテンがいいと言うのなら仕方がない。
最も今のローの発言は、キャプテンというよりは医者的な立場からきているものかもしれないが。

それからこれ、とローに何かを差し出される。
反射的に出した手の上に無造作に置かれたのは、紙幣の束だった。


「これは……?」
「セブリア島での情報料だ。まだ渡してなかったからな」
「あぁ、あなたが仕込んだ海軍が来るってガセネタの?そういえばあの広場で情報料をもらうって話だったね」


私を呼び出す口実じゃなかったんだ、とくすりと笑うと、ローは仏頂面になった。


「ガセとはいえお前に仕事を頼んだのはおれだ。報酬を払うのは当然だろ」
「律儀だね」


は貰える物は貰う主義だ。
どーも、と言って受け取ると、ローは無言で頷いた。


「今日明日は補給で潰れる。買い物がしたいなら明後日以降に暇な奴を捕まえて街に行け」
「了解」


つまり、一人で街に降りるなということだろう。
それならば明後日までは本でも読んで時間を潰そうかと考える。
キャプテンが医者であるということも手伝ってか、この潜水艦は比較的に本が充実している。
好きに読んで良いという許可は以前貰っていたので、ここ数日は本で暇潰しをすることもあった。
ただ、医学の専門書も多いため、の場合は読む本をそれなりに選ばなくてはいけないが。


「ただし、今夜は街の店を一つ貸し切って飲む。お前も来い」
「へ?」
「……シャチとベポがいやに張り切っている。お前の歓迎会だとよ」


唐突なローの言葉に、たっぷり数秒思考が停止した。
会話に不自然な間が空いた後、辛うじては返事を絞り出す。


「……了解」


要件はそれだけだ、とローが足早に姿を消すと、は再び医務室に戻った。
じわりと胸の中に広がる感情を感じながら。



海賊として生まれて、情報屋として振る舞い、また海賊となった。
それがの簡単な経歴で、世間から見て自分は胸を張れるような存在でない。
むやみやたらに悪行を繰り返しているわけではないが、実際人を殺した経験を数えると両手では到底足りないのだ。
特にこの3年は人を騙して利用し、時に殺めることで生き延びてきた。
それはきっと、このハートのクルー達だって例外ではない。

けれど。
この胸に広がるものは。
この血の通った感情をにもたらしてくれるのは。

しばらく一人だったからこそ、ハートのクルー達からに向けられるそれは、を至極簡単に揺さぶる。
向けられる感情を優しいと思うこの気持ちは、たとえ誰から糾弾されても手放したくない。

窓の外でしんしんと降る雪を眺めながら、そんなことをぼんやりと考えた。


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