黒曜石の瞳がおれの姿を捕える。
凪いだ夜の海のような女だと思った。








 宵闇に星は瞬かない  







がやがやと耳障りな喧騒。煙草の煙で霞む視界。酒と女の香水の香り。
馴染みがあると言えばそれなりにある、そんな空間。


「―――"黒揚羽"?」


目の前の男が口にした言葉を鸚鵡返しにする。男は妖しく笑った。


「腕のいい情報屋を探してるんだろ?そいつなら確かだぜ」
「聞いたことない名前だが」
「何しろ情報屋の癖に秘密主義な奴だからな。俺は見たことないが、何でも能力者で依頼主の前に現れる時は『蝶』の姿で現れるらしい」
「動物系の能力者……だから通り名が"黒揚羽"か」
「そういうことだ。コンタクトを取りたいなら手段を教えるが、どうする?」


ローは少しの間思考する。今まで何人かの情報屋に当たってきたが、有力な情報は得られなかった。
今回も外れである可能性は高いが、試してみる価値がないわけではない。


「その"黒揚羽"とやらに接触したい」
「そうこなくちゃな。ほら、これやるよ」


渡されたのは数字の羅列が走り書きされた紙片だった。連絡手段は電々虫のようだ。
紙片と引き換えに紙幣を渡す。


「毎度あり」


男はニヤッと笑うと、素早く身を翻して去って行った。人に遮られ、あっという間にその姿は見えなくなる。
情報屋の情報を情報屋から買うことになるとは、とローは静かに息を吐き出した。





*****





「ご連絡が遅くなり申し訳ありません。ひとまず情報を集めてきました」


電々虫から聞こえたその声に、ローは驚いた。
"黒揚羽"からその連絡が入ったのは、情報収集を依頼して1ヶ月半ほど経過した後のこと。
時折途中経過として連絡が入っていたが、その際には『調査中』だと言っていたはずだ。
てっきりもう情報は得られないだろうと予想していたのに。


「何が分かった」
「ご依頼頂いた海賊団について……船長の名前、悪魔の実の能力の概要、あとは主要な幹部と思われるクルーの名前と力量ですね」
「充分だ」

依頼したのは、とある海賊団についての情報収集だった。
複数の情報屋に依頼したものの、何か情報を持ってきたのはこの"黒揚羽"が初めて。
中にはそんな海賊団は存在しないと言い張る情報屋までいたくらいだ。

("ジョーカー"の配下で闇の稼業にどっぷりつかっている連中だ、正規のルートなら尻尾も掴めねェだろう)


「……一つ、ご相談があるのですが」
「何だ」


淀みなく説明していた"黒揚羽"が、少し言い淀むような気配を見せた。


「大変お待たせしてしまいましたが、この情報を得るために、こちらも多大な労力が必要でした。……通常料金での情報の引き渡しは出来かねます」


つまり、追加料金が欲しいというわけか。
ローは無意識のうちに自身の口角が上がっていたことに気付いた。


「面白れェ。いいだろう。言い値で払ってやる」
「ご理解頂きありがとうございます。本日は情報の三分の一をお伝えします。残りは入金が確認でき次第、こちらから再度ご連絡差し上げてお伝えするということでよろしいでしょうか?」
「あぁ」


ローが了解すると、"黒揚羽"はすらすらと情報を話し始めた。
おそらく変声器か何かで加工しているのだろう、無機質な声で語られる言葉を一言一句頭に叩き込む。


「では、本日はここまでとなります。入金をお待ちしております」


そう告げられて通話は切れた。通話終了を示すツー、ツーという電子音が流れ、ローは受話器を置いた。
そして、先程"黒揚羽"から聞いた情報を脳内で整理していく。

しかし、途中からローの思考は別の方向へと向かっていく。

―――誰もその正体を知らないという情報屋。
"黒揚羽"という通り名。変声器で加工された声。丁寧な敬語。
よほど正体を知られたくないのか、幾重にも厳重に保険を掛けているようにも見える。

(力で劣る立場なら、正体を知られると不都合があるかもな)

一般的に男より力が弱いとされるのは―――女、高齢者、子供。
まず子供という選択肢はないだろう。何度か通話している限り、そこそこ頭が切れる相手のように感じられたからだ。
そして、"黒揚羽"が活動を始めたのはごく近年だという。
一般的な常識から考えても、高齢者か女かと聞かれれば圧倒的に可能性が高いのは後者ではないだろうか。

(……下らねェ)

そこまで考えて、ローは思考を放棄した。そのまま座っていた椅子の背に凭れかかる。
一介の情報屋の正体を暴いたところで何になるというのか。

(……しかし、)

本当に自分の予想が当たっていて、"黒揚羽"が女であるならば。
この偉大なる航路を一人で生きようとする、そんな女が本当に存在するのならば。
それは少し面白いかもしれない、とローは思った。





約一年後。
とある街の酒場で一人飲んでいた女。
その女に絡む手癖の悪いゴロツキども。
そして数時間後に酒場の外に放置されていた、傷一つないゴロツキどもの死体。
死体から取り出された猛毒の蝶の毒。

一瞬だけ目の合った、あの黒曜石の静かな瞳。


全てが繋がるまで、あと。


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