私以外にはもう誰も居ない教室。窓際の前から3番目、彼の席。
壁時計を見上げると、2本の針が指すのは6時5分前。
耳元のウォークマンからは最近贔屓のアーティストの歌声。
携帯を確認してもメールは入っていない。
今日はミーティングだけだと言っていたからもうすぐ来る。はず。
そもそも何で私が誰も居ない教室に1人でいるのかと言うと。
まぁ簡潔に言えば彼氏様を待っているわけで。
そしてその彼氏様はスパルタ練習している野球部に所属しているわけで。
(朝5時に始まって夜9時上がりな部活なんてどうなんだろう本当に)
そんな相手を待っている私って一途だよなぁと自画自賛してみる。でもすぐにやめた。痛いし。
目の前の机の上には放り出された数学の課題。
この暇をもてあましている時間で今日の授業中に出された課題を終わらせてしまえばさぞ
家に帰った後に楽なのだろうけれど、生憎私は集中力をこの薄っぺらいノートに注ぎ込む事が出来なかった。
現に課題は20問中3問目の途中という微妙な所で放置されている。
というか今日私は数学の授業を睡眠時間にしていたからぶっちゃけよく分からないわけで。
手持ち無沙汰に窓の外を見ると、グラウンドで何人かがボールを蹴り合っていた。
多分あれはサッカー部だろう。そうは思っても、自分の視力ではどれが誰なのかは全く区別が付かないのだが。
と言うかサッカー部には特に知り合いも居ないのだし。
ひょっとすればクラスメイトの中に一人や二人居たかもしれないけど、いまいち思い出せなかった。
記憶力は良くないほうだと自負している。そんな自負はいらないと思うけど。
(…早く来い)
窓から差し込む目に痛いほどの光が赤く教室を照らす。まるで夜を拒むかのような、強烈な色彩。
目に突き刺さるようなその光を見ていると少しだけ目に涙が浮かんだ。
まぶしくて窓の外から視線を外す。僅かに滲んだ視界を強引に指先でこすった。
赤い夕日の光に何となくイライラして、聞いているウォークマンの音量を上げた。ギターのフレーズがより鮮明に聞こえる。
これが男性ヴォーカルの曲で良かったと思う。甲高い女性ヴォーカルの声だと耳が痛くなるだろうから。
低くて少しかすれたような歌声。歌詞はよく覚えていないけれど、切ない歌だった気がする。
そっと目を閉じて曲を聴く。ドラムが小気味良いリズムを奏でる。
夕日の赤は目を閉じても瞼を通り抜けて侵食してきた。目を閉じても、赤い世界。
伸びた爪でリズムをなぞる。木の机と爪は案外硬質な音を作るものだ。
リズム感があるほうではないから上手くは出来ないけれど。
トトン、トン、トントン、
季節に関係なく夕焼けはあんまり好きじゃない。太陽が夜に対して無様な抵抗をしているようにしか見えないから。
唐突に、そこで耳からの音が途切れた。というか、ウォークマンが奪われた。
目を開けて反射的に上を見上げると、やっと来た彼氏様と目が合う。
「あれ、阿部いつの間に。忍者?」
「は?何言ってんだお前」
音が途切れた原因は素敵に仏頂面な彼氏様らしい。
ほら、と差し出された阿部の手の中でウォークマンはぎゃんぎゃんと騒いでいる。
「つーか、お前音上げすぎ…だいぶ音漏れしてんぞ」
「だって阿部が来るの遅いから」
「関係ねぇだろ」
こんな大音量で聞いてたら耳が悪くなるかなぁ、と思いながら、受け取ったウォークマンの電源を切った。
「これ今日出た数学の課題か?」
「あー、うん。やろうと思ったけど進まなかった」
「つーか、分からなかったんだろ?」
「…そうとも言う」
呆れたような阿部の顔。実はこの表情が少しだけ好きだったりする。本人には言わないけれど。
「、帰るぞ」
「はいはい」
Twilight note
窓の外には、太陽の抵抗も虚しく刻一刻と彩度を落としていく空。廊下はもう薄暗い。
帰る時にはもう真っ暗なんだろうなぁと思った。